かつては日本一の白鳥飛来地となった「最上川スワンパーク」の第一歩は、昭和41年(1966年)に中学生が7羽の白い鳥を見つけたことに始まりました。昭和51年には「酒田市白鳥を愛する会」が組織され、当時日本一の白鳥飛来地であった新潟県水原町の瓢湖に出向き、餌付けの手ほどきを受けました。市民の手による白鳥の愛護運動が本格的になり、餌付けや生息地となる中州の整備、また生徒たちが川岸に白鳥が採食するマコモを植えたり、清掃活動の努力が実り、飛来数は1万羽を超えて平成8年より日本一の白鳥飛来地となり、バケツ一杯100円の餌を与えるのが市民の楽しみでした。
しかし、10年前に秋田県十和田湖や北海道の湖沼などで見つかった白鳥の死骸から強毒性の鳥インフルエンザが検出されるなど、その危険性が指摘され、市は餌付けの禁止を決断し、「愛する会」もそれを受け入れました。餌付けは禁止されたものの、「白鳥を愛する会」の活動やマコモ植え、清掃活動はそのまま継続されています。現在最上川スワンパークに飛来する白鳥は、約2000羽ですが、赤川や高館山下池など庄内一帯には分散して約8000羽の白鳥が飛来しています。田んぼのあちこちで落ち穂をついばむ姿は庄内の冬の風物詩です。
餌付け禁止前の写真です 遠くに月山
数万羽のマガモ田圃からねぐらへ帰還 午後5時頃